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アーボガストヒストリー

1938年、ジッター・バグ誕生。
この名作にも裏話があった。

■不朽の名作、ジッター・バグを生んだフレッドアボガスト社。

 ルアーアングラーなら誰しも忘れられないルアーがあるはずだ。最初の1尾を釣ったルアーであったり、ビッグワンと出会えたルアーであったりと、何らかの思い出とともに語りたくなるルアーだ。
 そんなルアーとしてよく名前が挙げられるものに、ジッター・バグがある。Jitterbugを直訳すれば「ジルバを踊る人」だが、その名の通り水面で騒がしく踊るのでノイジータイプに分類されている。トップウォーターゲーム・フリークならずともご存知のこのルアーは、フレッド・アーボガスト社の名品だが、デビューはなんと64年前、1938年だ。素材こそウッドからプラスチックに変わったが、バスに水面を割らせる実力になんら変わりなく、営々と作られ使われてきた。まさしく「不朽の名作」といえるだろう。

■キャスティング競技で2つのワールドレコード樹立。

 フレッド・アーボガストは1893年、オハイオ州アクロンで生まれた。幼い頃から父親と一緒にバス釣りに興じていたが、少年時代には釣りとともにフットボールや野球でも頭角を現した。高校卒業後、彼はタイヤ&ラバーメーカーのグッドイヤー社に就職する。
 入社後もフレッドは時間を見つけては釣りに熱中した。また当時ポピュラーなスポーツとして人気のあったキャスティング競技会でも活躍した。1924年にはディスタンス競技で250フィート(約76.3m)、1926年にはライトタックル部門で244フィート(約74.4m)という2つのワールドレコードを樹立している。どのようなロッドやリールが使われていたのかは定かではないが、1920年代のタックルでこの飛距離というだけで驚きに値するだろう。
 フレッドアボガスト社の設立は1930年といわれている。しかし、1926年6月発行の『ハンティング&フィッシング』という雑誌に「スピンテール・キッカー」というルアーの広告が掲載されているらしい。ルアーコレクターの間では1924年頃からルアーを売り始めたのだろうといわれている。1926年、彼はグッドイヤーを退職、フルタイム・ルアーメーカーになった。そして30年、アクロンに工場を買って事業を拡大。会社の設立となる。

■ラバースカートはフレッドの発明品。ハワイアン・ウィッグラーで初採用。

 「スピンテール・キッカー」の広告が1926年の雑誌に載っていると先に書いたが、別の資料ではフレッドが作った最初のルアーは「ティン・リズ・ミノー」となっており、同時期にこのミノーでエリー湖での午後の半日で500尾のホワイトバスを釣ったとある。金属製のミノーで、シングルのテールフックのベント部にスイベル付テールが取り付けられ、これが回転するというものだ。フレッドはこれで1930年にパテントを取得している。
 いまアボガストといえばたいがいの人がジッター・バグ、それにフラ・ホッパーを挙げるだろうが、それ以外にも皆が見慣れているもので彼の発明品がある。ラバースカートだ。
 当時、アメリカではハワイアンミュージックが流行していたらしいが、フレッドはフラダンスを踊る娘たちの腰ミノ(フラスカート)をヒントに「ラバー・フラスカート」を発明する。これを採用したルアーが「ハワイアン・ウィッグラー」だ。いまのスピナーベイト、バズベイトの元祖といっても間違いではないであろうルアーだ。フレッドは1938年にこの「ラバー・フラスカート」のパテントも取得している。

■ジッター・バグは当初、クランクベイトとして開発された。

 さて不朽の名作、ジッター・バグだ。よくこんなユニークなカタチを思いついたものだとたいがいの人が感心するに違いない。トップウォータープラグにカップ状の横に広いアルミリップを付けて水をガボッ、ガボッととらえ、クイクイ、ジャバジャバと水面をもがくように泳いでバスを引き出す。フレッド・アボガストの着想、発想、ひいてはアメリカ人の発明はやっぱりすごいと。
 しかし、結果的にこのカタチが生まれたことはすごいことだが、実は当初からこのように考えてつくられたものではなかったのだ。このジッター・バグにも誕生秘話があった。
 ジッター・バグは当初、フローターダイバーとして開発されたのだ。詳しいことはわからないが、どうやらいまのジッター・バグをまっ逆さまにして、背中にフックを付けたものがオリジナルに近いようだ。
 それ自体は水に浮き、リトリーブするとリップが水の抵抗を受けて潜るフローターダイバータイプの元祖は、以前紹介したボーマーベイトだ。それ以前のルアーはトップウォータープラグは浮くもので潜らず、水面下を攻めるルアーは沈むルアーだった。ボーマー社の設立は1946年だ。仮にジッター・バグが成功していたら、これが史上初のフローターダイバーになっていたかも知れない。
 「これは売れる」と大量に生産されたが、リトリーブ中にバランスを崩して逆さまになって浮いてしまうことがあることが分かり、発売にいたらなかった。倉庫には売ることができないルアーがたっぷり残った。フレッドは考えたのだろう。ひっくり返ってしまうのならいっそのこと逆にフックを付けてみてはどうだ、と。トップウォータープラグとして使えるんじゃないか、と。実はフレッドはバスが水面を割るトップウォーターゲームの大ファンだったのだ。
 試してみるとバスは予想以上に、信じられないような反応を示した。1938年、いまから64年前、こうしてジッター・バグはトップウォータープラグとしての日の目を見ることになる。バスは水面を割り、市場は爆発し、倉庫は空になった。
 このリップは当然パテントとなった。ロイヤリティを支払わなければ他社は同じようなものを作ることができない。以後ジッター・バグは売れに売れ、不朽のルアーとなるのだが、逆に他社が真似ることができなかったために、この形状は進歩が止まる。このデザインが進化するのは25年のパテントが切れてからになる。
 ジッター・バグが発売された3年後の1941年、フラ・ホッパーが発売される。大きく開いた口でポップサウンドを発し、テールに付けられた「ラバー・フラスカート」がゆらゆらとバスを誘う。このルアーは移動距離が少なく、一点でバスをじらすことが得意だが、フレッドはそういうアクションにバスが反応しやすいことをつかんでいた。「ルアー着水後、波紋が消えるまで待つ」というテクニックを生んだのがこのフラ・ホッパーだった。
 1947年、フレッドは54歳の若さで急死する。当時フレッド・アボガスト社では100人以上が働いていたが、彼らがフレッドの偉大な功績を引き継ぎ、いまは製品、精神ともプラドコ社が受け継いでいる。