ビッグフィッシュ・ハンターの
大久保幸三さん。
スミスKOZシリーズをプロデュースする
世界でも指折りの大物釣り師。
ネット番組アピスTV
「SUPER STRIKE」では、
豪快な釣りスタイルと
軽快なトークが人気です。

そんな大久保さんが
どのような釣り人生を歩んできたのか、
ビッグフィッシュ・ハンター
大久保幸三の起源を
お聞きしようと
大阪までやってきました。

同行者はスミスの玉越和夫さん。
大久保さんとは
アピスTV「SUPER STRIKE」で
度々コンビを組んでいます。
スーパーストライクシリーズの
プロデューサーでもあります。

最初は、大久保さんのタックルについて
取材する予定だったのですが、
「規則正しい動きをしないルアー」とか
「カジキからバスまで使えるスピニングロッド」とか、
他所ではあまり聞いたことのない仕様が続々。
そんなタックルを生み出す
大久保さん自身を取材する方が、
ビッグフィッシュに
近づけるのでは無いかと思ったのです。

大阪生まれ大阪育ちの少年が
ビッグフィッシュ・ハンターに
なるまでの道のり。
どんなスタンスで
大物と向き合っているのか。
大久保さんの流儀が
作られるまでのストーリー。
全4回でお届けします。

トカラの巨魚に憧れた小学生が
プロ釣り師になるまで

釣りを始めたころの記憶。
誰に連れて行ってもらったのか。
何を釣りに行ったのか。
どんな釣りだったのか。
どんな道具で始めたのか。
意外に憶えているものです。

大久保幸三さんの
釣りの起源をお聞きしました。
ビッグフィッシュ・ハンターになる
きっかけが
そこに有るのか、気になります。

ー 大久保さんはずっと大阪ですか?

大阪のど真ん中、
梅田のあたりで生まれ育ちました。
昭和44年10月1日生まれです。
初めての釣りは大阪の海です。
幼稚園の時に、しらすエサで
アジ、サバ、イワシ釣りでした。
砂糖工場の裏でした。
エサが無くなるまで帰らなかったですね。

ー よく憶えてますね。
ルアーとの出会いはいつ頃ですか?

ルアーは本で見て憧れたんです。
西山徹さんの本だったか
釣りキチ三平だったか。
はたまた開高さんの本だったのか。
いずれにせよルアーで釣ること自体
カッコイイじゃないですか。
お小遣いをためて
ルアーを買うようになったのは小学校2年生からで、
ルアーを投げ始めたのは小学校3年生の時ですね。

ー ルアー釣りを始めたの場所はどこですか?

ルアー釣り始めたのは
放課後の淀川でしたね。
初めてルアーで魚釣ったのが小学校5年生の時で、
ケタバスとナマズだったんです。

ブラックバスを初めて釣ったのは
小学校6年か中1の春どっちかだった。
ホッテントットの
ジャパンカラー、岩魚カラーでしたね。
ストップ・アンド・ゴーで
潜らせては浮かばして、
水面にケツを出した瞬間に
バスが食ったんです。
そのシーン、いまだに忘れません。
足元で食いましたね。36cm。初めてのバス。

ー もう小学生から
釣りにのめり込んだのですね。

小学校1年の時、
先生に将来の夢を聞かれたんです。
その頃持ってた本は、
恐竜の本、昆虫の本、ルアーフィッシングの本。
だから僕の夢は
「恐竜」「昆虫」「魚釣り」やったんです(笑)

「恐竜」これはもう死に絶えていない。
相手にできない。
「昆虫」この分野は
ファーブルがナンバーワン。これはダサイ。(一同笑)
で、将来の夢は
「魚釣りの仕事」をしようと思うたんです。

それで、僕が小学4年生の時に、
ある釣り本にやられたんです。
ウチのオトンは土建屋だったんですけど、
その本にはオトンみたいな
筋骨隆々のおっさん3人が、
トカラのおお臥蛇島の立神岩に乗って、
太っとい竿とごっついリールで闘ってるんです。

エサはでっかいイスズミで、
それを背掛けにして投げて釣ってる。
ひとりはただただリールを巻くだけ、
ひとりは下から肩で竿を支えるだけ、
ひとりは引っ張ってるだけ。

ごっつい大人3人が必死こいて闘って、
26kgのロウニンアジを
誇らしげに持ってる写真。
こんなスゴイ魚がおるんやと。
これは絶対釣りたいなと。
将来絶対釣るんやと決めたんです。

ー 小1でプロ釣り師、小4で大物釣り師。
その思いはずっと変わらずですか?

もうずっと、魚釣りのプロという
肩書きが欲しかったんです。
小学校1年のときの想いというのが
変わってないということは、
僕は6歳から今の48歳まで
42年間成長が止まってもうてるんですよ。
初志貫徹でここまで来てもうて、
後戻りできない(笑)
でも、まさに、今の自分に
なりたい思うてたんですよ。

ー 中高生時代は?

高1からある釣具メーカーで
バイトするようになって、
釣りだけでメシが食えるほどこの業界
甘く無いというのは分かってきたんです。
でも釣り以外を仕事にするのは
絶対に嫌だった。

ー 釣り以外の仕事は
まったく考えなかったのですか?

18~23の頃、
ダイビングのインストラクターを
4年間やりました。
これも全部釣りのためなんです。魚見るため。
見てもないことをあたかも
見たようなこと言うてんのが
その当時の僕は許せなくて、
自分で潜ってちゃんと見ようやってことで、
ダイビングショップに勤めた。
4年だけやろうと決めて。

もちろんこの間は、
魚釣りのプロって一切言わなかったです。
他の仕事をしている以上
プロの釣り師とは言えない。
僕のコアになる部分の1つは
そんな意地なんです。

ー 大久保さんは
カメラマンだったと聞きました。

その頃水中写真や
ウォーターサイドの写真を撮りはじめたんです。
そのショップに出入りしていた
ダイビング雑誌の営業さんに写真貸したら、
表紙からグラビア7枚抜きで
僕の写真使ってもらうことになって。
そしたら、
こんなにお金はいってくるんや。
これイケルやん思って。
でも独立したら
えらいめにおうてしまいました(笑)

ー ダイビングインストラクターやったり
写真家やったりして
プロの釣り師になったんですね。

他にもいろいろ。
夜はコンビニ、
昼間はパチンコ屋でバイトしたり。
空き時間は加西の野池でバス釣りして、
お金貯まったら遠征して、
って生活をしばらく続けてたことも。
石垣島にちょっと住んでたことあるんですけども、
そん時もペンキ屋のバイトしたり、
ハブ獲りのバイトしたりして。

ー ハブ獲り?(笑)

負ける気しいひんからね。
写真家時代は、
サメが2m前方で口空けてる写真撮ったり、
子熊を連れてるグリズリーが
鮭獲ってる写真を撮ったりしてたんです。
他にも野生のスゴイのに
いくつも出会ったりしたんですけど、
今まで無事です。
なんかね、熊だろうが何だろうが、
負ける気がしないんですよ僕(笑) スミスには
石垣に住んでた頃から
面倒見てもらってるんです。
海のモンとも山のモンともわからん小僧を
スミスは面白がって
付き合ってくれたんです。

[続く]

大久保幸三さんのビッグフィッシュ・ファイトが観られるのはこちら!