■たまには家族でのんびりな釣りも・・・

二時間で30匹・・・ってーことは、四分に一匹釣れる!
これは凄い! 本当に凄い!!
でもね、その前日は二時間で40匹だったのだよ。
三分に一匹だ。

いずれも違う場所である。
同じ場所ではない。川を挟んでいるから違う水脈である。
でも、そばであることは確かだ。
清明川と言う河川を挟んで左右のホソが好釣だ。

  

仕掛け投入と同時にアタリが来る。
すぐにウキがピクピクピクと動くから、
嬉しいたらありゃしない。
ここまで書けばもう判るよね。
バス釣りではない。今回の釣参菩思は、マブナ釣りである。

このところ、島津から木原にかけてのホソが好釣だ。
シモリ仕掛けのアカムシ餌で面白いように釣れる。
だからいろいろ知ることが出来る。
知ることはバスフィッシングのヒントになる。

シモリ仕掛けにしているのは、
ここ数年タナゴ釣りの人が五月蠅いからである。
「釣れますか?」
「タナゴ釣り?」
「どう? カネヒラ???」
話しかける人のほとんどがタナゴのことしか聞かない。
まったく持って腹立たしい。

  

おまけにタナゴが釣れている・・・なんてことを言おうもんなら、
すぐそばに仕掛けを投入する始末に、
心の中で「こいつ等釣り師か?」と疑問を投げかける。
●釣果は聞いても、その人のそばでは釣り糸を垂れるな。
●その人が帰り支度を始めたら、一応断ってからその場所に入れ。
●その場所で釣りがしたかったら次回にしろ。
なんてーことを、釣り好きなジジイ連中に教わったもんだが、
そんな釣り師、いまはもう本当に少なくなってしまった。
これこそ絶滅危惧種だ。

タナゴ釣りに来る年輩の人が、無礼千万なのに呆れてしまう。
言葉遣いも態度も、初見とは思えないような馴れ馴れしさだ。
他人のクーラーの蓋を無断で開けたり、
煙草を吸わないオレのそばでプカプカ煙草を吸い、
ホソに投げ入れる始末に蹴落としたい衝動に駆られるが、
グッと堪えてタモで吸い殻をすくい上げ、
ゴミ袋に入れると、概ね黙って消えていく。
ありがたや・・・。

バスアングラー諸君、諸君はまだ若い、
若い人の方は考え方が柔軟だからあえて言わせてもらうけれど、
釣りは人と人の競技ではなく、人と魚との競技、知恵比べなのである。
だったら、先に書いた三箇条を実践できるよね。
人が釣ったのを見ると、ついつい寄って行ってしまうのは、
釣り人として行儀の悪いことなんだ。
他の人が釣りをしている周囲に無断で立ち入るのは、
とても危険だしマナー違反であるのだよ。
それと、釣り師は長話は禁物だ。
釣りをしているときは釣りに集中しろ。
お喋りは釣りが終了してからいくらでも出来るんだからね。

霞ヶ浦に限らず、
自分たちがバス釣り通う湖沼に生息している生物を知ることは、
バスフィッシングを格段に上達させる。
それはバスも水中の生物だからである。
マブナ釣りで発見した事実をバス釣りに照らし合わせると、
ことのほか上手く行くことがある。

しかし、自然はそれほど単純ではない。
日々刻々と変化しているのだから二度目はないかも知れない。
それらに対応して、
速やかに対処する敏速で柔軟な考え方を培うためにも、
その水域に生息している他の生物を知ることが大切なのである。

マブナ釣りにシモリ仕掛けを使うのは、
タナの変化に柔軟敏速に対応するためである。
また、水面ウキには出ない小さなアタリを見逃さないためである。
バスの新しい釣り方やルアーを作り出すのにも、
こんな釣りは大いに役立つとオレは思うんだね。

また、マブナやモツゴ、テナガエビなどの小物釣りは、
普段バス釣りばかりに行っているお父さんが出来る
楽しい家族サービスにもなる。
月に一度、いや年に数度は家族でのんびり小物釣りを楽しむのも、
ギンギンバリバリなバスアングラーの心の休息になるよ。

簡易テーブルなどを持って行って、
ピクニック気分で小物釣りをするんだ。
もちろん、手網でガサ入れをするのもいいし、
セルビンや仕掛け網を使って小魚を一網打尽にするのもいいね。
とりあえず、一人だけではなく家族で水遊びをしなさいよ!
とこう言うわけだ。

バケツに入れられた魚たちを見て、
子供たちはどういう反応をするか?
オヤジとしてどのような教育をするか?
で、子供の未来は決まってくると思うんだね。
釣って逃がす・・・釣って食べる・・・釣って殺す・・・
さぁーて、子供たちはどれを選ぶのだろうか?
そしてオヤジは、どのようにして命の大切さや資源の重要さ、
人間が生きるために犠牲となる生物たちの命の尊さなどを、
教えることができるのだろうか?
まぁ、こんなたいそうな教育を考えずに、
まずは小物釣りの経験だよね。

子供にとって、オヤジと一緒に行く魚釣りほど楽しいものはない!
とオレは秘かに思っている。
その証拠に、中学三年生になった娘を誘うと、
「ウン、行く行く」と言う返事が返ってくるんだ。
家族の中で、粗大ゴミになるもならぬも自分次第だよ。

但し、水辺で遊ぶときこそ、
水の事故には十分に注意を払って欲しい。
我が家では小学校二年生までライフジャケットを着せていた。
小学校一年から水泳教室に通ったので、
小学校三年生になった時は少し安心だったからね。
悲しい出来事に遭遇しない安全管理は、父親の仕事であるのだよ。

 楽しい夏休みの思い出は、父と遊んだあの水辺。
 僕が釣った大きなフナに、父は少し嫉妬した。
 母は笑顔で僕を見ている。
 水辺を飛び交うトンボや、草むらを舞うチョウチョに心が惹かれたのは、
 僕が大きなフナを釣り上げた小学生の頃だった。
 父と遊んだ思い出は、いまも心に残っている。
 大きなフナは大きなままで、いまも心に残っている。

オレは、父親に釣りを教わったのではないから、
この詩は嘘になるが、父のところを年の離れた従兄弟にすればいいだけだよ。
誰にでも釣りの先生はいるもんだが、
ことルアーフィッシングに関しては、特にバスフィッシングでは、
良い先生がいなかった。
だから、釣り場が荒れてしまったんだね。
釣り場が荒れると釣りは廃れてしまう。
魚がいなければ釣りは出来ないんだよ。
で、釣り場を守るための一つの方策として、
せめて釣り師は子供たちに釣りを教えよう。

はじめはルアーでなくて良いよ。
餌釣りから始めようよ。スルメを使ったザリガニ釣りでも良いよね。
次いでミミズやアカムシを使っての小物釣りだ。
我が家の娘がそうだったように、
そのうちにルアーがやりたいとか、バスが釣りたいって言うようになる。
思い立ったら吉日だもの、それから始めりゃーいいことだ。
釣りは一生できる楽しみだもの、のんびりゆっくり気長に楽しもう。
頑固な格好いい釣り師を、自らの手で育ててみようよ。
夏休みの宿題は、『父と子の水辺の観察』で決まりだね。