1990
あえて普通のバイブレーションとは⼀線を画しリップレスクランクと表現したミスティー、アクションも少しウォブリングを加えた独特の動きをトレンブリングアクションと表現して⼈気を得た。(玉越和夫)発売当時、印旛沼で釣りをしているバスアングラーは皆ミスティーを持っていました。潜⾏深度もアクションも印旛沼で使うのにピッタリだったのです。春先、伸び始めのパラアシの中を引いてくるとイージーに数釣りが楽しめました。フローティングモデルもラインナップされていたのが良かったですね。(池島竜一)
1990
1991
元々ルアーロッドの分類というのはベイトキャスティングロッドとスピニングロッドに大別され、その中から用途に合った硬さを選ぶという考え方が主流だったのです。具体的には、ブラックバス釣りにはML~Mアクションのベイトキャスティングロッドが推奨され、湖でマスを狙うならばL〜MLアクションのスピニングロッドが推奨される、という具合でした。そのような中でいち早くバス専用ロッド「スーパーストライカー」を発売したスミスがトラウト専用ロッドをラインナップするというのは当然の流れでもありました。この時代になると国産・海外品問わず多種のルアーロッドが存在していましたが、トラウト専用のルアーロッドとして発売されたのはトラウティンスピンGSシリーズがそのはしりとなりました。
1993
1993
スティッキーというとトップウォータータイプの「0」が⼈気ですが、個⼈的に⼀番良い思いをしてきたのは「2」「3」です。発売当時、北浦の杭周りをスティッキー2、3で攻めると本当によく釣れました。ハスティー3は少し泳ぎがワイドだったので、より泳ぎがナチュラルなスティッキーの⽅が北浦には合っているように思えました。(池島竜一)
1993
スミスのネオンワームのラインナップがドゥードゥルシリーズでした。霞ヶ浦で⼤⼈気だったドゥードゥルビーバー、関東の⼭上湖やリザーバーで⼈気だったドゥードゥルクロウラーは、当時は常に品薄でメーカー在庫になることがほとんどなく、社員でも⼊⼿困難なものでした。(池島竜一)
1993
フォーリングでの動きを良くするためラインアイは水平に設計されていますが、スキッピングで水面直下を早引きする際は、このラインアイを僅かに下げるとローリングが強くなり飛び出しを抑制できます。(小笠原俊男)
1994
「良く釣れるのでずっと作り続けてほしい」と多くの釣り人に支持されていますが、良く釣れる理由はバランスの悪さにあります???なぜなら重心移動ウェイトを意図的に遊ばせることにより不測な動きをさせ、直ぐに復元するよう「アンバランスなバランス」を求めて設計されているからです。(小笠原俊男)
1994
バッハスペシャル、ダーデブル、オークラ。ロングセラーとなるスプーンの多くはベーシックなインディアナ形状をしています。ピュアはスミスのスプーン狂が生み出した究極のベーシックスプーン。日本のフィールドに合わせたボディーカーブと肉厚を持ち合わせています。今でこそ豊富なカラーラインナップとなっていますが、発売当初はシルバーとゴールドの2色でスタートしました。
1994
あまり知られていませんがウェイビー85はウェイトが動きます。つまりはラトリンモデルということです。静かな夜の海でウェイビーを引いてくるとルアーが足元に近付くにつれてシャラシャラと音を立てて泳いでくるのがわかります。ある時、他のミノーでは釣れないのにウェイビー85でばかりシーバスが釣れる時があって、もしかしてラトル音が効いているんじゃないか?と感じたことが何度もあります(池島竜一)
1995
今では常識となっている4ピースフライロッドですが、当時は旅行用とかのイメージが強かった。ジョイントの所がツッパルことの無いように苦心した思い出があります。(玉越和夫)
1995
対話形式で商品をアピールした珍しい広告。広告ではなく記事っぽさで読んでもらう事を狙った一連のシリーズです。(玉越和夫)
1995
テラミス・バトラックスとシリウスの中間時期に発売されていたシリーズなのであまり目立たなかった印象がしますが、細身のブランクだった割に粘りがあり、非常に扱いやすいロッドでした。当時行われていたスミスのバスフィッシングセミナーにおいても教材としてこのロッドを使っていましたが、長さと硬さのバリエーションがあるために個々の生徒さんに対しても適したロッドを使ってもらえ、クセがないのでキャスティング指導もやりやすかった印象です。これが機能を特化したモデルだと、ベテランにとっては最高の武器になり得るのですがビギナー向きではないのです。パツパツのジグロッドでルアーウェイトをしっかり乗せてのキャスティングは覚えられないし、繊細なソリッドティップのライトリグロッドで思い切ったフルスイングなんて出来ませんよね。そうした意味では、この時代のロッドの方が初級・中級者層にとっての扱いやすさに長けているとさえ思えます。(池島竜一)
1996
150年前イギリスでフライフィッシングを極めた実存の人物の名を架したシリーズ。そこには開発者としてはフライロッドシリーズの中で日本のフィールドに合った使い易い最高のロッドと言う自負があった。(玉越和夫)
1996
シーバスロッドというジャンルは日本独特のものです。そもそも、ルアーロッドというものはせいぜい7ft以内までというのが昔の常識だったのです。そんな中、投げ竿やジェット天秤を使ってルアーを遠投しようという人が増えて行きました。何せ当時の雑誌や入門書では、海でルアー釣りをする場合はそのような道具を使うように図解で説明までされていたからです。そんな中、スミスでは初のシーバス専用ルアーロッド10ftの「サーフプラッギング」、13ftの「タイドラッシャー」、さらにボートシーバス用の「ボートプラッギング」を発売しました。しかし全国各地でシーバス釣りが盛んになるにつれ、長さも硬さも3種類のロッドだけではまかないきれない状況が増えて行きました。初代ブローショット「GSシリーズ」、そして2代目ブローショット「GSXシリーズ」がその後の日本のシーバスロッドの方向性を決定づけたと言っていいと思います。
1996
スミスは「システムディープ」という言葉を登録商標としています。そのはしりとなるのは御存知ハスティーなのですが、ハスティーは深度が深いものほどサイズも大きく、とても同じタックルで使い切れるものではありませんでした。デザインしたのは羽鳥静夫さん。「3m程度までのものであればサイズを変えずにシステムディープを実現できる」とのことで共通ボディーでシステムディープを実現したものがディプシードゥです。「潜って事をなす」というのが名前の由来です。(小笠原俊男)
1997
ラパラやロングA、レッドフィンといった輸入製品がシーバス釣りの創成期に使用されたのち、より遠投が出来る国産品も続々と発売されました。タックルハウス社のK-TEN、マリアのTheファースト、ダイワのショアラインシャイナーR55等です。ですがフォルムやカラーリングがリアルさに欠けていると感じました。サラナを見た時、ようやくソルトルアーの世界にもリアルミノーの流れが波及したと感じました(池島竜一)
1997
UDグラスという軽い素材が開発されたのを機に、真っ先にトップウォーター用のロッドを開発。軽さの中にトップ特有の味わいを出すのにロングベリーという手段で応じました。(小笠原俊男)
1998
スーパーストライカー/スーパーストライクが発端となり、日本のトップウォーターバスフィッシングではチャンピオングリップ+丸型リールというスタイルがポピュラーとなりました。ですがスミスはあくまでより使いやすいタックルを作ってきました。ロッドも軽い方が望ましく、それに合わせるリールもまた然り。軽量のパイプ型リールシート・スーパーライトグラス素材を用いたバスマニックはそれまでの概念を一掃するほどに軽いトップウォーター用のタックルでした。ですが組み合わせるリールには皆さん苦労をしていたようです。中にはバットフェルールを装着してチャンピオングリップ仕様にする人も少なくありませんでした。(池島竜一)
1998
刃渡り25cmの元祖ロングジグ(ジャックナイフ)は、ある時入国検査で全て没収されました。魚にとって恐ろしい武器になることは確かなのですが・・・(小笠原俊男)
1998
いまでも人気のハトリーズスティック。当時は少し小さめのトップウォータープラグが出回り始めていて、このロッドもそんなプラグを扱いやすいように作られました。7g前後のトップウォーターとナイロン8lb.この組み合わせで岬や立ち木、オーバーハングなどのポイントを次々と流して行く。もちろん、狙いのポイントとのディスタンスはかなり長め、そして水面を滑るように動くトップウォーター達。この演出を可能にした1本であるのは間違い無いと思います。(玉越和夫)
1999
ロッドの進化を語る上で外せないのがガイドの進化です。時代の先端を行くロッドには時代の先端を行くパーツが装着されていなければなりません。シリーズGのGというのは言うまでもなくゴールドサーメットガイドを意味していますが、ブランクもまた当時の最先端を行く素材で、カーボンに含まれたエポキシを可能な限り少なくしたブランクを採用し、軽量化を実現するとともに張りのあるロッドが完成しました。このガイドとブランクのコラボレーションにより、切れ味の鋭いトゥイッチングが可能となり、多くのアングラーから好評を博しました。当時ウルトラライトと言えばその操作性から6フィートが限度でしたが、シリーズGのウルトラライトモデルには6フィート6インチと7フィートもラインアップされたことからでも、このロッドの真価が伺い知れます。(小笠原俊男)
1999
ハトリーズスティック第2弾です。メインコピーにもあるように、このロッドはインナーハンドをターゲットに最も動かしやすいよう設計されたロッド〈羽鳥氏談〉でした。(玉越和夫)
1999
ディプシードゥと言えば吉田幸二さんを思い出します。16KSは銀ピカ吉田くんというサブネームが付いておりましたが、この他に6BKはアオスジくん、金ピカ吉田くんというカラーもありました。(玉越和夫)
1999
1999
1999
2000
かつてのミルキーボーイとクライイングフロッグは市場にごく限られた数しか出回りませんでした。これらの名作を何とかもっと多くの人に使って欲しい、という想いがあって、スミス30周年記念商品としての商品化を羽鳥さんへお願いしました。(玉越和夫)
2000
この時に生産したFO-60,予想よりも多くの注文が集まり追加発注!しかし上がってきたロッドの調子が少し硬くなってしまいました。これも苦い思い出です。(玉越和夫)
2001
スミスではTRB、TRBX、IBXX、TLBにおいてボロン素材を用いたシリーズを展開し てきました。現在ではカーボンシートの種類や品質、生産工程の技術の向上によりボロン素材を使わずとも理想的なロッドの設計が可能で、現行のフラッグシップモデルである「イル・フロッソ」においてはボロンはあえて使わずカーボン素材のみでブランクを構成しております。
2002
すべてはタイトルコピーのまま!サクラマスのために用意したラインナップです。そして、製品特徴よりもサクラマスへの想いとイメージだけを伝える為に用意した広告です。(鈴木悟)
2003
「似たようなジグは多くあるけどマサムネだけが何故か良く釣れる」そんなアングラーの声をよく耳にします。理由は定かではありませんが、名刀ゆえに「キレ味の鋭さ」と「歴史の重さ」が成せる技なのでしょうか・・・(小笠原俊男)
2003
2004
当時スミスの広報担当者だった平本氏は、ジェラシーというスプーンの開発経験はありましたがプラグの開発経験はありませんでした。そんな平本氏が開発したのは、サイズに見合わぬウェイトを搭載し、尻から素早く沈下し、ただ巻きでは滑らかに泳がない。当時の常識で判断すればボツと判断されてもおかしくないミノーでした。D-コンタクトはある程度ルアー作りの経験がある人からは生まれなかった製品かもしれません。(池島竜一)